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進む
「こ、うたいれん……」
嘘だ。嘘に決まってる。わたしは正直に、ひたすら素直にそう思った。
夏も近づいてきた今日この日。高体連を知らせるそのポスターの参加欄に、しっかりと応援部の文字が躍っている。
手は汗ばんで、喉に唾がつっかえる。目をこすって見ても、頬をつねっても、黒の文字は変わらない。
応援部はてっきり、高体連や高文連では「応援する側」だと思っていた。だがどうだ。現実は、わたしに特大の試練を押しつけてきた。
一人で応援なんてしない。高体連という大会ならなおのこと、誰かと一緒にやって、誰かと一緒に評価を受ける。
それで、全国に挑む。
「結良ってさ、誰かとやる部活に行かない方いいよ」
いつか言われた、誰かの言葉。
ついいつものように転けたわたしに、かけられた呪い。
足を引っ張るから、勉強も苦手だから、置いてかれて、追いつこうとして。
追いつけ、なくて。
「……頑張るしか、ないですよ。押忍」
言い聞かせるように、頭をそれでいっぱいにして、不安をどこかへ飛ばすように。
低く呟くと、うつむいていた顔を上げ息を思い切り吸い込み音にして吐き出した。
「ゆらちゃんは、応援部でみんなと優勝するです!」
絶対に、絶対絶対に、諦めてやるもんか。
こうなったらできるとこまで駆け上がってやる。
声は廊下中に響いて、でも周りにいた人からの視線は感じなかった。
感じる余裕もなかった。
ああ、中間テストが終わっていて良かった。唾を飲み込み、部室へと早歩きで向かう。
――勉強を気にせず、ただこのことだけに集中できる。
まだまだ成長期の体は大声だけしか取り柄がない。体格の差で迫力に欠けて、大げさに動かないと自信がないと思われるだけ。
それでも、見た人が元気になるような、わくわくが溢れるような応援だと、思えてもらえたら。
ああ、それならちょっとは、ほんのちょっとは楽しんでできそうだ。
口元が緩み、わたしは思い切り部室のドアを開いた。
応援部は、『応援団・チアリーディングコンテスト』というものに出る。
わたしはもちろん、応援団の方に名乗りを上げた。チアリーディングは全身を使った動きがきびきびとしていて、今からでは追いつけそうにないのだ。
大声と、腕と、表情でなら、いけるかもしれない。
幸い、入った時から声は褒められた。「押忍」という口癖も、応援っぽいと笑ってくれた。
人の多い、夕方のグラウンド。そこでただ、芯の通った声を出す練習をする。
「押忍!押忍!……押忍!」
学校の周りは木々もそこそこにあって、声がほんの少しだけ遠くに響く。
「フレー……!フレー……!」
「気合い、入ってんね~」
隣で練習していたはぐちゃん君が、タオルで汗を拭きながら声をかけてきた。
はぐちゃん君はすごい。1年生でこの部活を立ち上げて、部長として色んな楽しいことを提案してくれる。行動力もそうだし、今みたいに気さくに話しかけるのが上手なところが、わたしは憧れている。
「はい。優勝、したいですから」
今の実力で、今の経験値で。他と対等に戦おうなんて、おこがましいことなのかもしれない。それでもわたしは、優勝したい。『みんなと』、全力で戦いたい。
「はぐちゃん君。ゆらちゃんは、今をいっぱいにしていきたいです」
「?」
「無駄だとか、できないとか。そういうので諦めるの、やめたです」
田んぼの方から、蛙の鳴く声がかすかに聞こえてくる。
「押忍!!!」
その音をかき消すように声を出し、はぐちゃんくんの方を見て笑ってみせた。
「勝つです。絶対絶対、みんなで勝つです」
「転けなくなったね」
そう言われたのは、あともう数日で大会が始まる放課後。
くおん君に応援部の羽織へメッセージを書いてもらっている間に、ぼそりと彼が口にしたのだ。
わたしは少し考え、「……そうですか?」と首を傾げる。
「絆創膏してるの、最近見ないから」
「ふーむ……」
確かに、最近ストックを追加した記憶はない。けれど転けた記憶も、転けなかった記憶も自分にはない。
けれど対して、くおん君は記憶力がいい。勉強もできるし、運動も率先してというわけではないがこなせる人だ。
「くおん君が言うなら、そうかもしれないです」
「……」
あ、呆れたような顔になった。ため息をついて、彼はペンを持つ。
『がんばれ』
相変わらずのきれいな字で、隅に小さく控えめに。「これでいい?」と言われ、大きく頷いた。
「ありがとです、押忍」
「そう。……頑張ってね」
「はい!」
あれから、声出し練習に加えて大会でやる演目の練習も始まった。
わたしは動いて覚える方がいいらしく、何度も何度も他の部員に確認してもらいながら練習を重ねて、なんとか身についたといったところだ。それでもまだ毎日やっていないと不安なので、部活がないときは放課後の教室で(もちろん声は控えめにだが)練習している。
着々と、大会に向かって進んでいる。怖くて、楽しみで、緊張して。
「結良が大会で誰かとやるなんて」
一歩進む度、昔の呪いが足に引っかかりそうになる。それを無理矢理振りほどいて、また一歩踏み出しているような感覚。
うるさい、とは思わないが、なかなかに厄介なそれは、今でも消えてはいない。寧ろ大会が近づく度に大きくなっているようで、思わず足を止めてしまいそうになる。
でも、わたしは進まないといけない。
そうわたしが決めたから。絶対優勝するって、諦めないって決めたから。
あと少し。もう少しで。
わたしにとって初めての『みんなとの』大会が、始まる。
不安
「はぐちゃん君、ゆらちゃんの羽織にひとこと書いて欲しいです」
「おっけ~」
二つ返事ではぐちゃん君が書いてくれたのは、『百花繚乱』という文字。
それは、色んな色が、人が、華やかに咲き乱れるという意味があるらしい。
自分のための羽織がどんどん完成していく。
練習も声や動きを揃える水準にシフトしていって、高くなっていく気温もあいまり夏バテしかける部員も増えてきた。
実際の会場は空調は効いてると思うけれど、それでも暑いだろうし少しずつ体を慣らしていかなければ。
「あ、水分補給した?」
「ばっちりです!」
「オッケー。そっちに差し入れてもらった塩飴もあるから、なめといてね~」
「押忍!」
透明な小袋に入ったあめ玉一つを、口の中に放り込む。
あまじょっぱいような、ちょっと甘さが勝るそれをなめながら、部室をゆっくりと見渡した。
――みんな、練習してる。
それは当たり前で、でもちょっと嬉しかった。
自分一人がやる気で空回ることは、昔からよくあったから。
わたしが、みんなと同じ気持ちでいることに、安心した。
「勝ちたいです……」
コロン。飴を移動させながらなめて、呟く。
こんなに頑張ったから、少しくらい報われたいと、自分勝手に思う。
そうして、少しだけだらんと力を抜いて、よし、と立ち上がった。
「ゆらちゃん、練習再開するです!」
ガリッと飴を噛んで、しっかりと味わいながら喉に流し込む。
涼しげな風の中に、ちょっと湿った土の匂い。
桜花に梅雨が訪れるのも、遠くはないだろう。
けろけろ、ぐわぐわ。
蛙が鳴く声が、窓の外から聞こえてくる。
明日には、もう大会だ。心臓の音が既にどくどくと体の中から聞こえてきていて、落ち着かせるために何度目かの深呼吸をしたけれど、やっぱり意味はなかった。
今日は体を休める目的で部活も休みだった。行き場のない緊張をほぐせないものかと廊下をさまよっていると、ポツ、ポツと雨の音がして顔を上げる。
通り雨みたいだ。いきなり雨粒は大きく、勢いは強くなって土を濃くしていく。
わたしはそれを見て、口を開き呟いた。
「……不安、なんです」
誰かに言いそびれた言葉が、少しずつこぼれ落ちる。
「本番で間違ったら、転けたらどうしようって、こわいです」
雨は聞いてくれているんだろうか。いや、聞き流してくれるくらいが丁度いい。
「どうしたら、不安ってなくなるんでしょう。どうやったら、ゆらちゃんはかっこいいゆらちゃんになれるんでしょう」
「……勝ちたい、です」
「勝ちたい、絶対絶対勝ちたい!わたしは、ゆらちゃんは!」
「みんなの中で、みんなで、優勝したいです!!!」
窓を開けて、身を少しだけ乗り出して。
額に流れる雨が、それが本当に雨なのかも分からなくて。
はあ、はあ。呼吸を正常に求める喉に、息を送る。
前髪、思い切り濡れたです。ちょっとだけ絞って、窓を閉じた。
ドキドキしていた体の内は、今のでなんとか収まってくれたようだ。
寮の部屋に戻って、今日は早めに寝よう。わたしは踵を返して、その場を後にした。
夢を見る。
わたしは夢をよく見るので、しっかり眠れているのかとよく言われる。
けれど今日も。わたしは変わらず夢を見ていた。
夢の中で、ひたすら応援部で練習して、同じくらいひたすら被服手芸部で裁縫をしていた。
このくらい、いっぱいいっぱい時間があればいいのに。あれもこれも、私にはまだまだ足りない。
応援部で一番輝く存在になりたいし、被服手芸部で学んだ知識で色んな人をもっと応援して助けたい。
今までの時間が足りなかったとは、無駄だったとは思わない。ただただ、いつも、今この夢の中でだって時間が足りないと思ってしまう。
――もっと!もっと!
いっぱい教えて欲しいことがあるのに。いっぱい聞きたいことがあるのに。夢だから、わたしが答えを得ていないから、みんなはすぐにぼんやりと遠くなって、手を伸ばすと消えてしまった。
「――待って!」
手を伸ばして、目を覚ました。
まだ部屋は暗い。鳥の声も聞こえないから、早朝にもなっていないだろう。
わたしは体を起こして、同室の人が起きてないかを確認する。幸い寝息が聞こえてきたので、ホッと胸をなで下ろしてカーテンをそっと開けた。
まだ、暗い。まだ、本番まで何時間もある。
「……寝れる気、あんましねーです」
苦笑して、それでも体は休めておこうと布団をかぶり直す。布団の中はあったかくて、わたしのまぶたはすぐうつらうつらと重くなっていった。
今日、勝ちてーです。
時間は足りなかった。でも、無駄じゃない。
きっとわたしの糧になるし、みんなの力になる。
夢を見た。
一人でいるわたしが、いつも通りこけて、また起き上がる夢。
白い空間に、わたし以外誰もいない。それでもわたしは歩いて、こけて。また起き上がった。
そのうち、声が聞こえてきた。
『がんばれ』
誰だか分からない声だった。それにわたしは頷いて、何度も起き上がる。
『がんばれ』『がんばれ』『がんばれ』
声は何度も聞こえてきた。わたしは起き上がって、今度はその声の方へと走り始める。
つたない走り方だと、自分でも思った。それでも転けずに走りきって、声へと手を伸ばす。
「ゆらちゃん、まだ頑張れるです」
「いっぱいがんばれをもらった分、まだまだいけるです」
「だから、ゆらちゃんにもあなたを応援させてほしいです。全力で、めいっぱい、がんばれを届けるです」
それは自分の声だったのか、ただ思っていたことなのかは分からなかった。
でも、悪い夢じゃない。そう思った。
やりたいこと
「人、人、人……」
何度、手にその文字を書いただろうか。はぐちゃん君は苦笑して、「大丈夫?」と聞いてきた。
書くのに気を取られていたわたしは思わず「はい!」と顔を上げる。そしてその声の大きさに、周りの皆も驚いたあと笑った。
「百合咲、声でかいね」
「押忍!」
「あはは、緊張ほぐれちゃった」
皆が笑ってるのを見て、少しだけホッとする。わたしは手に書いていた人の字を飲み込むように、大きく口を開けた。
ばくっ。
これで、わたしは大丈夫。そう言い聞かせて、ステージを見る。
ステージはよくある大ホールの舞台。さっきリハーサルで立たせてもらったが、冷房が効いてるものの照明が暑くて立っているとじわじわと法被に熱がこもった。
この舞台が、わたし達の最初。沢山応援してきたわたし達の、第一歩。
『大事な人のこと、思い浮かべて』
『そんでその人たちが頑張れるようにって、壁越えられるようにって考えながら演舞して』
昨日、はぐちゃん君が言っていた言葉。
わたしの大事な人は、いっぱいいる。
受験の時から助けてくれるくおん君、髪がきれーで明るいユキさん、被服手芸部でいっぱいいっぱい色んなことを教えてくれるなごみせんぱい、それから球技大会でおせわになったゆりさんに、あわゆきさん、けいかせんぱい、ねいさん。家族だってそうだし、中学の時の友達だって、数え始めたらキリがないくらい。
そんな人達が、みんなみんな頑張れるように。
どんな壁だって越えて、先に手を伸ばせるように。
そのためには、わたし一人の力じゃ足りない。いや、わたし一人の力より、もっともっと力が、声があった方が、より高く跳ぶためのバネが強固になる。
「そろそろ時間だ。舞台袖に行こう」
はぐちゃん君の声。わたし達は頷いて、ステージから廊下へ、廊下から舞台裏の方へと移動する。
こつ、こつ。靴の音がよく耳に入ってくる。舞台袖は静かで、けれど大会スタッフさん達が沢山動いて、声を掛け合って、舞台を作り上げていた。
(……すごい、です)
舞台の裏側というものを、初めて見た。そして、知った。
大会という舞台を作り上げるのも、数人だけじゃ足りないのだ。
沢山の人が関わって、沢山準備したこの舞台で、わたし達は優勝を目指す。
ずしん。
――どうやら、わたしは『だれか』を沢山感じてしまうのにも弱いらしい。
心臓の音が、どくん、どくんと少し大きく聞こえ、慌てて深呼吸をする。
「すーーーーーー……、はーーーーーーーーーーーーー」
吸った倍くらい吐くのがいいのだと、顧問のすぐりせんせは教えてくれた。
胸のあたりで吸うんじゃなくて、お腹の辺りで吸うことを意識すると、なおのこと良いのだと。
高校に、附属桜花に入ってから、色んな人が色んなことを教えてくれた。
わたしは、それをここでいっぱい活かすんだ。
『――番、私立花風大学附属、桜花学園』
始まりのおとが、聞こえてきた。
「つ、疲れた、です……」
ホール横の廊下。舞台袖から戻ってきたわたしは、思わず大の字になりたい衝動を抑えて壁にもたれかかった。
まさか、『大会の本番』がここまで疲れるものだとは。
幸いだったのは、ミスしないようにという思いに気を取られなかったこと。
はぐちゃん君が昨日言ってくれた言葉と、落ち着いた夢を見れたのもあったかもしれない。
ただ、応援したいという気持ちで。
ただ、壁を越えられるような大声で。
全部を出し切れたと言えるなと考えて、壁にもたれかかったままにへらと笑った。
「やったです……へへ、ふへへ」
大会を、みんなでの大会を、ついに人生初やりきったのだ。
ホールの中から、太鼓や鼓舞の音がかすかに漏れて聞こえてくる。
もう少ししてから戻ろうと、ホール前に並べられた椅子に座りに行った。
うつら、うつら。
まどろみながら、わたしは呪いを思い出す。
『誰かとやる部活に行かない方いいよ』
それは、よく面倒を見てくれた友達が、わたしを心配して言ってくれたであろう言葉。
心配が、わたしの中で呪いとなってしまっていた、かわいそうな言葉。
「……わたし、やったですよ。誰かとやる部活、できたです」
ぼそ、ぼそと呟き、わたしは笑う。
「もう、心配しなくていいですよ。あなたも、ゆらちゃんも」
球技大会だって参加できた。応援部の大会にも、全力で取り組んで満足できた。
あと、わたしは何を目標にしよう。
まず、大会に出る他の部活のために、沢山応援したい。
被服手芸部で教わった縫い方で、お守りも作ってみたい。
それと、勉強。成績優秀者になるにはまだまだだけれど、赤点は流石に、次も回避していきたい。
学校の行事にもいっぱい参加して、思い出をいっぱい作って。
将来の夢だって決めてない。どんなことをやりたいか決めるのを目標にして、沢山悩むのも悪くないだろう。
――ああ、よかった。
――まだまだやりたいこと、あるですね。
今日は良い天気だ。大きなガラス窓から入ってくる日差しが心地よくて、くわぁと欠伸をひとつ。
「……少しだけ、少しだけ、です」
ちょっとだけ寝てから、戻ろう。
いびきをかかないように、ちょっとだけ。
目を閉じて、深く息を吸って、吐いて。そうするとあっという間に、夢の中へと意識が移っていく。
――沢山の人がいて、応援するわたしを応援してくれる夢だった。
それからわたしは、結果が発表されるからと起こしに来たはぐちゃん君に声をかけてもらうまでしっかりと寝こけてしまった。
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